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古民家の改修 - 隠れた美の発見

  • maomars
  • 5 日前
  • 読了時間: 3分

日本には、6世紀ごろから続く木造建築の伝統技法がある。世界最古級の木造建築である法隆寺の五重塔は607年に建立され、670年の火災後、711年頃に再建されたとされている。千三百年以上の時間を越えて立ち続けるその姿は、日本の木造建築の底力を静かに物語っている。


また伊勢神宮では、690年(持統天皇の時代)から20年に一度の式年遷宮が続けられ、2013年の遷宮で第62回を迎えた。同じ技術と寸法で社殿をつくり替え、技法と精神を千年以上受け継いできた例は、世界にも類を見ない。


古都・京都では、こうした木造技術の粋が町家という暮らしの器となり、路地をつくり、景観をつくり、街の表情そのものとなってきた。


しかし、その伝統建築が“守るべき価値”として扱われることは驚くほど少ない。

世界的な古都である京都でさえ、年間およそ800軒の町家が解体されている。その多くは相続や利便性のために壊され、駐車場や新建材のアパートへと置き換えられていく。


その理由は単純で、

「町家のままでは収益が出ない」と考えられているからだ。


対照的に、パリではどうだろう。モンパルナスタワー建設後、市民の反対運動によって中心部での高層建築は禁止された。ルーヴルのガラスのピラミッドでさえ、完成まで激しい議論が続いたという歴史がある。


そして先日、はじめてアテネを訪れた。丘の上に悠然と鎮座するアクロポリス、そしてその歴史を伝える美術館は、お会いしたお医者さんも、レストランのウェイターも、美術館の警備員までもが誇りを持って語っていた。


「あそこは私たちの歴史で、我々の意識はずっとつながっている」


その言葉には、街の美を自分たちのものとして受け止める確かな連続性が宿っていた。


では京都の人々は、自分たちの街にどれほど誇りを抱けているだろうか。誇りがないわけではない。祇園の花見小路は風情がある。でもほとんどの町並みは自分たちとは関係ないと思っているように感じられる。


多くの町家はアルミサッシに替えられ、木部には塗装が施され、雨樋はプラスチックに交換されてしまった。断熱や利便性、経済合理性の名のもとに“とりあえず改善された”建物に変えられてしまったのである。


私は Maruyo Hotel、The Lodge MIWA、そして今回のB氏邸の改修でほとんど同じ経験をしてきた。


プラスターボードを剥がすと、古い梁が姿を現し、土壁が呼吸を始め、風は「本来どこから入るべきだったのか」を静かに教えてくれる。その瞬間、私はいつもこう思うのだ。


「この建物の美は、最初はここにあったのだ」と。


さらに作業を進めれば、丁寧に選ばれた柾目のトガの廊下が出てくる。未来の時間に耐える材を選んだ当時の職人の判断が、そこにはある。洒落た型ガラスは光を柔らかく散らし、建具のすみ丸の細工は、取り外した瞬間に影の美しさを見せてくれる。台所の奥からは、経年の風合いを帯びた銅の水栓金物が出てくることもある。


こうしたものを一つひとつ探し出すたびに、私は宝探しのような感覚を覚える。


新しく何かを足すのではなく、隠されていた価値を見つけ出す行為こそ、もっとも確かな創造ではないか。


改修とは、“新しい美をつくること”ではなく、見えなくなった美を再び見えるようにする作業である。美はつくる必要はない。ただ、気づく準備があれば、そこにある。


古い建物は、壊す前に、一度だけ、その場所が見ていた美を静かに覗き込む時間が持てたら、きっと何かが変わるのではないか。

 
 
 

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